英語力という幻想
ちょっとブログ熱が甦ってきました。ダメ学です。
今回は英語力についてです。
さて、英語力って社会で求められている。そうですよね?転職サイト見ても「TOEIC700点以上」といった条件があったり、企業内でも英語学習に補助金を出したり、それにただ単に「ええ!すごいですね!」と異性にもてはやされます。英語を話せることはすごいことなんです。
ちなみにダメ学は英語話せます。TOEIC900オーバーです(どやぁ)。
ただ、本当にすごいんでしょうか。ダメ学は英語が話せます。だからこそ、そのすごいと思われている状況が不安です。
小学生の学習指導要領にこんな文があります。
「グローバル化が急速に進展する中で,外国語によるコミュニケーション能力は,これまでのように一部の業種や職種だけでなく,生涯にわたる様々な場面で必要とされることが想定され,その能力の向上が課題となっている。」
ここでは英語ではなく、外国語とされていますが、見ていただければ英語だけ特別扱いです。
この「外国語によるコミュニケーション能力」って本当に必要でしょうか。
最近は自動翻訳機が市販されるようになりましたね。例えばこれ↓
ダメ学も家電量販店で試してみましたけど、素晴らしい性能でした。
ダメ学が気づいていないだけで、色んな弱点(専門用語が訳せないとか)があるのかもしれませんが、小学生が大人になるころにはもっと素晴らしいものになっているでしょう。
こんな便利なものが市販されているのに外国語によるコミュニケーション能力って必要?
シーンにもよるでしょう。例えば、友だちをつくるとき。いちいちこんな機械を出されたら興ざめですね。
だけど、ビジネスで必要でしょうか。
こんなこと言うとよく言われるんです「フェイストゥフェイスのコミュニケーションが相手との距離を縮めて、交渉が円滑に行くから必要」とか「結局、社会は人対人だから」って。
いやいや、ちょっと待ってよ、と思うわけです。言ってることはわかるし、ダメ学もそういうことを重視して生きてきました。
でも、それって結局「お願い営業」に必要なことでしょ?と思うわけです。
真っ当な条件を差し出せていないけど、自分の言い分を通すために、その「フェイストゥフェイス」とか「人対人」の理論が必要なわけですよね、と思っちゃいます。
真っ当なビジネスであれば、機械を通したコミュニケーションで充分では??
第四次産業革命を受けて、「お願い営業」が通じない世の中になっていくでしょう。そんなときに必要なのは「外国語によるコミュニケーション能力」ではなく、「多様性を受け入れられる寛容さ」と「人を尊重する精神」、それに、それらを実現するための体験に基づいた知識ではないでしょうか。(実はこういうことは既に言われている。てへぺろ)
というわけで、相変わらず、あっちに飛び、こっちに飛びましたが、結論として「英語なんか勉強するな!」という暴力的なものを投げ捨てて終わります。